抽象画家の先駆者モンドリアン~第5章~

『【印象派を超えてー点描の画家たち】ゴッホ、スーラからモンドリアンまで』の作品展示の最後をかざるのは、ピート・モンドリアンです。モンドリアンはオランダ人で、1892年から3年間もの間アムステルダム国立美術アカデミーで、伝統的な美術教育を受けています。この美術教育の頃からすでに線描よりも「色彩」を重視するような傾向がすでにモンドリアンの作品に現れています。そして、国立美術アカデミーを卒業したあとは、リアリズムを次第に離れるようになり印象派・新印象派、その中でも特にモンドリアンが影響を受けたのは、ゴッホとスーラーの影響を強く受けた画風へとか変わりました。

抽象絵画を描いた最初期の画家

ピート・モンドリアンはロシア出身のワシリー・カンディンスキーと並んで本格的な抽象絵画を描いた初期の頃の作家です。ワシリー・カンディンスキーの作風は表現主義の流れを汲んでいますが、モンドリアンは表現主義の流れを汲むのとは対照的です。モンドリアンの連作で有名な「リンゴの木」の連作では樹木の形態が段々単純化され、完全な抽象画へと向かっています。色の三原色「赤・青・黄色」の三原色だけつかうというストイックな原則は、点画主義のスーラーと通じるものがとてもあります。

そして、「色と線がそれぞれがもっと自由に語ることができるにする」ということを試みるようになり、モンドリアンは「黒い垂直+三原色の平面」に到達するまで、様々な探求と試みを行っています。抽象表現の可能性の探求に向けた創作となり、極限まで幾何学化・単純化された海と埠頭や樹木の絵から、一切の事物の形態から離れた抽象絵画への移行が起こります。そして短く黒い多数の上下左右の線のみによる絵、また三色からなる四角形の色面を、様々な間隔で配置した絵。といった様々な作品を試みています。この試行錯誤の時期から、モンドリアンの作品には「コンポジション」の題が付けられるようになりました。もちろんこの「コンポジション」も今回展示されています。

ピート・モンドリアン

モンドリアンは1942年に生涯初となる個展を開いていますが、翌年1943年にはニューヨーク近代美術館に「ブロード・ウェイ・ブギウギ」が購入されて、モンドリアンの評価高まっていました。自分の評価が高まっていても評価に決して満足することはなく、どんどん目標とするものは高くなり、その実現にむけて悪戦苦闘したと本人が述べています。絵を平面として捉えて、額縁を取り除きそして、何かの描写ではなく「ひとつの独立した完成した表現」として絵を追及した画家です。

1911年にオランダ・アムステルダムでの美術展で、モンドリアンはキュビスムの作品に接します。キュビズムの作品に深い感銘を受けることになり、パリへ行く決め翌年1912年から1914年までパリに滞在しています。パリでは、ピカソやブラックが提唱しているキュビスムの理論に従い、事物の平面的・幾何学的な形態への還元に取り組みました。

この過程でモンドリアンは抽象への志向を強めていき、モンドリアンの考える「キュビスムの先」をモンドリアンは目指すことになりました。モンドリアンはキュビスムの探求がもたらしたこの転機について「キュビスムは、自らの発見がもたらす論理的帰結を受け止めていないことが、徐々にわかってきた。つまりキュビスムが展開する抽象化は、その究極の目標の純粋なリアリティの表現へと向かっていないと思うようになった」と自身の著書で述べています。モンドリアンは、リアリティの表現が“純粋造形”によってのみ確立されて得られるものだと感じるようになり、ますます表現の探求へと向かうことになりました。

点線の画家

モンドリアンの考えたは、調和としての伸びを世界表現するため「完全に抽象的な芸術」が必要であると考ました。そのため、絵画を極限まで幾何学的に単純化していきます。そして形態から離れた抽象絵画を、多数の上下と左右だけ線だけで描く絵画。色は三原色「赤・青・黄色」からなる四角形の色面を配置した絵画といった、試行錯誤をしながら抽象表現の実験を重ねていきます。

そこで黒い上下左右の直線と、その線に囲まれた異なった大きさからなる四角形の赤・青・黄の三原色の色面で構成されている、水平・垂直の直線、三原色で構成されている「コンポジション」の作風の絵画に、モンドリアンは純粋なリアリティと調和を実現することになりました。モンリアンの「コンポジション」は抽象的絵画として、ひじょうに完成度の高いひとつの調和美を感じさせる作品になっています。

出品作品リスト ~Ⅳ~モンドリアンー究極の帰結

20世紀最大のコレクションのクレラー=ミュラー美術館所蔵作品が来日!点画主義にフォーカスした美術展

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